「r>g(資本収益率>経済成長率)」——このシンプルな不等式が、世界中に衝撃を与えました。
経済書としては異例のベストセラーとなった『21世紀の資本』(2013年)は、フランスの経済学者トマ・ピケティによる一冊。厚さ600ページ超ながら、「現代の資本論」と呼ばれ、世界中で読まれ続けています。
格差、相続、投資、そして資本主義のこれから──本記事では、「r>g」の本質と誤解、格差は正当化できるのか?、マルクスとの違いまで、できるだけやさしく、わかりやすく解説していきます。
投資やFIRE、経済に関心のある方ならきっと、「なるほど、そういうことか!」と腹落ちするはず。そしてこの記事を読み終えたころには、原著を手に取りたくなっていることでしょう。
なぜ今、『21世紀の資本』を読むのか?
本書を読もうと思ったきっかけは、カール・マルクスの『資本論』を読んだことでした。
マルクスは、資本主義の構造的な問題──とくに「格差は必然的に拡大する」というメカニズムを鋭く描き出しました。でもそれは、あくまで19世紀の理論。
では、現代の経済ではどうなっているのか?
特にSNSや投資界隈で見かける「r>g」というフレーズ。FIRE(早期リタイア)を目指す人たちの間でもよく語られますが、その意味合いは本来の文脈とは少し異なるように感じていました。
一人歩きしているこの不等式は、本当に正しく理解されているのでしょうか?
その答えを、自分の目で確かめたくなり、原著に挑戦してみました。
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本書の目的と基本構造
本書の目的
『21世紀の資本』がめざすのは、「資本主義における富と所得の不平等の歴史とメカニズム」を、膨大なデータをもとに明らかにすることです。
著者のピケティは、世界20カ国以上の税務記録や国民経済統計を駆使し、18世紀から21世紀初頭にかけての約300年にわたる「資本」と「所得」の分配の推移を詳細に分析しました。
この本の大きな特徴は、数式や理論モデルではなく、あくまで実証データによって語られている点にあります。
印象的なのは、小説などの文学作品からの引用が随所に登場すること。たとえばバルザックの『ゴリオ爺さん』では、努力して働くより「銀行家の娘と結婚した方が早く富を築ける」と描かれています。
ピケティは、こうした描写が単なるフィクションではなく、実際のデータに裏打ちされた“階級社会のリアル”であることを示しています。
本書の構成
本書の全体構成は、以下の3つのパートで構成されています。
- 歴史的分析
-資本と所得の分配が、時代とともにどのように変化してきたのかを検証します。 - 理論的考察(r>g)
-「資本収益率が経済成長率を上回る」という構造が、格差をどう拡大させるのかを考察します。 - 政策提言
-格差是正のために、どのような制度改革が必要なのか(例:累進資本課税、相続税の見直しなど)。
このように本書は、「格差はなぜ生まれ、なぜ固定化されるのか?」「どうすれば持続可能な社会を維持できるのか?」という問いに対し、歴史 × データ × 現実的な提案で立体的にアプローチしています。
本書の主なポイント
本書を読んで感じたことを、筆者なりにかみ砕いてポイントを説明します。
r>gとは?
本書の中心にあるのが、「r>g(資本収益率 > 経済成長率)」という不等式です。
- r(資本収益率):株式や不動産、債券などの資産が生む利益(年4〜5%)
- g(経済成長率):所得や賃金などの伸び率(年1〜2%)
このrとgの差が長期間にわたって続くと、資本を持つ人のほうが、労働で稼ぐ人よりも速いペースで富を増やせることになります。
実際にピケティは、18〜20世紀の欧米データをもとに、rが平均4〜5%、gが1〜2%で推移していたことを示しました。つまりこれは、「資本が労働を上回る構造が、歴史的にずっと続いてきた」という実証でもあります。
この状態が続けば、どうなるでしょうか?
資産を持つ人の富は、何もしなくても複利で増えていきます。一方で、資産を持たず賃金だけで暮らす人は、いくら勤勉に働いても、相対的に取り残されてしまう。
これがピケティの言う「格差が拡大する仕組み」であり、資本主義が自然に生み出してしまう“構造的な傾き”なのです。
歴史に見る格差の変動
ピケティは、「格差は常に拡大してきたわけではない」と語ります。歴史を振り返ると、縮小と拡大を繰り返してきたことがわかります。
- 19世紀末:資本の大半が一部の富裕層に集中し、格差はピークに。特にヨーロッパでは、資産の約9割が相続によるものでした。
- 20世紀前半:2度の世界大戦と大恐慌により、富が大きく失われ、格差は一時的にリセット。国家の経済介入や新たな税制も始まります。
- 戦後(1950〜1970年代):高成長・インフレ・累進課税・福祉の充実により、格差は大幅に縮小。「中間層の時代」とも呼ばれます。
- 1980年代以降:グローバル化と新自由主義の影響で格差が再拡大。規制緩和や資本移動の自由化、法人税減税が拍車をかけました。
格差の「正当性」への問い
格差は、すべてが悪ではありません。努力や才能によって生まれる成果は、社会的にもある程度“正当”とみなされてきました。いわゆる「能力主義(メリトクラシー)」です。
たとえば、懸命に働いて起業し、成功を収めた人が富を得ること。それ自体には納得できる側面があります。
しかしピケティは、その理想とは裏腹に、現実の資本主義が抱えるもう一つの顔を突きつけます。
実際には、出自や相続といった「生まれながらの条件」が、富の蓄積に大きな影響を与えているのです。
たとえば19世紀末のヨーロッパでは、社会に存在する資産の9割が相続によって引き継がれていたとピケティは指摘します。
そして現代もまた、“努力”より“親の資産”が人生を左右する「世襲資本主義」への回帰が進んでいると、警鐘を鳴らしています。
つまり――努力によって報われる社会を目指してきたはずなのに、現実には「努力しなくても豊かになれる人」と「どれだけ努力しても届かない人」の差が、再び広がりつつある。
このままでは、格差は“正当なもの”として受け入れがたい段階に入っていくのではないか。ピケティの問いは、私たちにその本質を突きつけてきます。
ピケティが提案する「格差への処方箋」
ピケティは、拡大し続ける格差に対して、次のような具体策を提示しています。
- 教育・保健・年金などへの再投資
→ 人的資本への公共投資を強化し、すべての人に“スタートラインに立つ機会”を保障する - 累進課税の見直し(とくに相続税・富裕税)
→ 相続による格差の固定化を防ぎ、富の再分配を促す - グローバルな資本課税の導入
→ 国際協調により、富の越境逃避を抑え、超富裕層にも公平な負担を求める
これらは、単なる「富裕層への負担強化」ではありません。ピケティはこうした政策を、民主主義を守るための“防波堤”と位置づけています。
本書を読んで考えたこと
「r>g」への誤解と投資ブーム
「r>g」という不等式は、FIREムーブメント(経済的自立・早期退職)や投資界隈で、“投資こそ最強”の根拠として語られることが増えています。「やっぱり働くより投資だよね」と、ピケティの主張を都合よく要約してモチベーションにする流れもよく見かけます。
でも本来、この不等式が示しているのは、「社会全体における歴史的な傾向」です。個人の資産運用を推奨するための話ではありません。
「r(資本収益率)>g(経済成長率)」という構図が続けば、働くよりも資本を持つほうが、富を築きやすくなる。つまり、“持てる者”はますます豊かに、“持たざる者”は取り残されていく──。
ピケティが本当に警鐘を鳴らしているのは、この「格差が自然と広がってしまう構造」そのものです。
また、「r>g」はあくまで平均値の話です。すべての人が投資によってrのリターンを得られるわけではありません。資本を持たない人にとっては、スキルや知識といった“人的資本”こそが、最初の資本であり成長の手段です。
「みんな投資家になろう」ではなく、「富の集中を見過ごさない社会をどうつくるか?」。それが本書の本質的な問いかけです。
ピケティ自身も「r>g」は絶対的な法則ではなく、資本主義に内在する一つの傾向だと述べています。実際、時代や政策によってはこの関係が逆転することもあります。
それでもこの傾向を知ることは、投資テクニックを超えて、私たちが生きる社会の構造を考えるヒントになるはずです。
格差は「努力の差」なのか?
フランス人権宣言には、”社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられてはならない。”という有名な一文があります。
つまり、格差があっても「納得できる理由」があれば、社会的に受け入れられる余地はあります。
たとえば、努力や才能によって得た成果なら、それが格差につながっても“正当”とみなされやすい。
しかし現実には、「親からの相続」や「出自」によって生まれる差のほうが大きくなりつつあります。そして、「努力が報われにくい構造」が強まっているのです。
ピケティのデータと「r>g」の法則が突きつけたのは、「経済格差は本当に努力の結果なのか?」という根源的な問いです。
第二次大戦後しばらくは、高成長や高い税率により相続の影響が薄まりました。しかしその後、経済成長が鈍化するとともに、「親の財産が人生を決める」度合いが再び強くなっていると、ピケティは指摘します。
彼はこうした傾向を「世襲制資本主義」への回帰と呼び、放置すれば寡頭制(少数の富裕層による支配)に近づくと警鐘を鳴らします。
一方で、「格差があること自体は悪いことなのか?」という問いも無視できません。一部の経済思想では、適度な格差は人々の意欲を刺激し、イノベーションや成長を促すという見方もあります。
ですが、現在進行中のような極端な富の集中については、ピケティが「これはもはや、是正が必要な制度的な問題である」と警告を発しています。
格差是正は、単なるモラルや感情論ではなく、資本主義の持続性や、民主主義の健全さを守るための課題でもある――。本書のもっとも重要なメッセージのひとつです。
マルクスとの違いは?―「革命」ではなく「改善」
『21世紀の資本』というタイトルから、マルクスの『資本論』を連想する人も多いかもしれません。
実際、刊行当初は「新たな資本論の登場か?」と話題になり、ピケティ自身にも「共産主義者では?」という声が上がったことも。
けれど著者本人は、「マルクスに大きな影響を受けたわけではない」と明言しています。むしろ両者は、問題意識は似ていても、立場もアプローチも大きく異なるのです。
共通点:「資本主義は放っておくと格差を拡大させる」
- マルクス:労働の搾取や資本の蓄積を分析し、資本主義はやがて崩壊すると予測
- ピケティ:データに基づいて、富の集中(r>g)が現代にも続いていると警告
相違点:「革命」か、「制度改革」か
- マルクス:階級闘争と社会主義革命を理論的に展開(理論・哲学中心)
- ピケティ:統計データと実証研究をもとに、穏やかな再分配政策を提案(実証・改革主義)
たとえばピケティが提案するのは、グローバルな累進富裕税や相続税の強化といった制度的アプローチです。資本主義そのものを否定するのではなく、「社会の持続性を高めるために、制度的に手を入れよう」という立場です。
ピケティのすごさは、「感情論ではなく数字で語る」こと。抽象的な理論だった『資本論』の世界が、現代の統計データによって立体的に見えてきた感覚がありました。
マルクスが見た19世紀資本主義の問題は、かたちを変えて今も続いている。そしてピケティはそれを“革命”ではなく“政策”で乗り越えようとしています。
いわば本書は、マルクスの問いを現代的にアップデートした一冊なのだと感じました。
まとめ
『21世紀の資本』は、格差という現象を、経済理論ではなく、歴史とデータによって解き明かした一冊です。
「r>g」という不等式が示しているのは、資本を持つ者ほど富を蓄積しやすく、持たざる者は相対的に取り残されるという構造。それは、意欲や努力だけでは乗り越えられない、資本主義に内在するゆるやかな傾きです。
ピケティが描くのは、個人の成功物語ではなく、社会全体としていかに富の偏在を是正していくかという視座。教育・社会保障・相続税・富裕税といった制度設計の重要性が、静かに、しかし力強く語られています。
同時に、本書は“資本”という言葉の射程も広げてくれます。金融資産に限らず、知識や経験、人的ネットワークもまた個人にとっての資本であり、それをいかに育てていくかという問いも浮かび上がります。
格差の時代にあって、私たちはどのように資本と向き合い、どんな社会を築いていくのか——。そのヒントが、この一冊には詰まっています。

