この記事では、経済学者・宇沢弘文先生の著書『社会的共通資本』を読み、印象に残った考えや現代社会とのつながりについて紹介します。

著者|宇沢弘文氏について
宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)氏は、1928年生まれの経済学者で、東京大学名誉教授。理論経済学・数理経済学の分野で国際的な評価を受け、スタンフォード大学では後にノーベル経済学賞を受賞するジョセフ・スティグリッツの師としても知られています。

宇沢氏はやがて抽象的な理論の限界を感じ、研究の軸を環境・教育・医療といった「人間の幸福」に直結するテーマへと移します。
「経済とは何のためにあるのか?」という根本的な問いに向き合い続け、アメリカの医療制度の問題や日本の公害など現実社会に深く関わりながら、独自の理論である「社会的共通資本」の構想を築き上げました。
社会的共通資本とは?
社会的共通資本(Social Common Capital)とは、すべての人が人間らしく生きるために、社会が共同で保有・管理すべき資本のことです。宇沢先生はこれを以下のように分類しています。
- 自然環境:森林、水、大気、海など、かけがえのない自然
- 社会インフラ:道路、鉄道、上下水道、公園など
- 制度資本:教育、医療、司法、金融、報道といった制度や仕組み
これらは、誰かの「所有物」ではなく、社会全体が責任をもって維持・運営していくべきものだという考え方です。市場に任せれば効率的になるとは限らず、むしろ私たちの暮らしの根幹は、市場の外側で支えられるべき領域があると説かれています。
なぜいま、「社会的共通資本」が重要なのか?
資本主義は、私たちの暮らしを豊かにした一方で、格差の拡大や分断、制度の劣化といった副作用も生み出しています。
とくに問題となるのが、医療や教育といった本来すべての人に開かれるべき制度が、「自己責任」や「効率」の名のもとに市場原理にさらされるようになってきたことです。
教育の例から考えてみる
教育は本来、すべての人に開かれた「人生を豊かにする機会」であり、人間としての成長や社会との関わりを育む場でもあります。
しかし現代では、「いい大学に入って、いい会社に就職する」ための競争の手段と化しつつあり、教育の価値そのものが“学歴”という記号に還元されています。
このような状況は、「機会の平等」どころか格差の再生産を生み、教育が“手段化”されていることを意味しています。こうした変化こそ、社会的共通資本が見直されるべき理由のひとつです。
社会的共通資本の具体例
医療
医療もまた、本来は誰もが平等にアクセスできるべき共通の基盤です。
しかし現実には以下のような事態が起きています。
- 保険未加入者や低所得層が医療を受けられない(例:アメリカ)
- 民営化によって、医療の質よりも利益が優先される
- 地方では病院の統廃合が進み、医療格差が拡大
宇沢氏は、医療を「人間の尊厳を支える制度資本」と捉え、利益ではなく公共性を軸に再設計すべきだと主張しています。
環境
空気や水、森林、大地――こうした自然資源もまた、社会的共通資本の中核です。
しかし現在、それらでさえ市場の論理に飲み込まれ、
- 開発による森林破壊
- 海や大気の汚染
- 気候変動による災害リスクの拡大
といった危機が進行しています。
自然環境は誰かの持ち物ではなく、未来世代とも共有すべき「公共の遺産」だという視点が、いま強く求められています。
まとめ
宇沢氏の『社会的共通資本』は、経済成長や効率を至上とする現代社会に対し、「人間の尊厳と持続可能性を支える土台こそ、みんなで守るべき共有財である」という視点を与えてくれます。
宇沢氏に学んだスティグリッツも、新自由主義の限界を批判し、市場原理だけでは社会の安定や平等を実現できないと指摘しています。また、斎藤幸平氏による「脱成長」や「コモン」の議論とも通底する考えがあり、資本主義の先を考える上での出発点として、この本は極めて示唆に富んでいます。
「経済とは何のためにあるのか?」「何を共有し、何を守るべきか?」、この問いに向き合うことは、私たちがこれからの社会を構想するうえで欠かせない第一歩となるはずです。
宇沢氏の思想は、その方向を照らす静かで力強い羅針盤となるでしょう。

